雑食系 国語教師の【Pillow Book】

春はあけぼの。国語とか教育とか、音楽とかメディアとか、旅とか社会とか人間とか。日本。

【楽曲紹介】Official髭男dism×"教育"(第3弾)

自己満企画「Official髭男dism×"教育"」第3弾!

とりあえず今回で最後にします(;o;)

ただ、今回は、僕が最高に好きな曲なので長くなりますよ!笑

 

一番好きな曲、『Pretender』かな?『I LOVE...』かな?と思ったんですが、ここ3日くらいで、「あ、これだ」って確定しましたー(激どうでもよい)

でもぜひ聞いてほしい曲なので、読んでくれると嬉しいです。 てか、読む前に聞いてほしいかもしれぬ。YouTubeのライブ動画を先に貼っつけてしまいましょう。とにかくこのLIVE映像は神です。演奏も雰囲気も。楢ちゃん(Bass)楽しそう!

そして何より、藤原さんの歌唱力、表現力が異常…。期間限定らしいのでぜひ今のうちに!

 

はい。

今日紹介したい曲はこちらです!

 

 

 

■異端なスター

www.youtube.com

 

 

2017年4月発売のミニアルバム『レポート』収録の楽曲。

ライブで定番の楽曲で、僕も上のライブ動画でドハマりしました。まぁなので、ハマったのはかなり最近なのですけど、もう堂々のTopですわ。ちなみに原曲はピアノからしっとり入るのですが、ライブver.ではブラスから入っていて、個人的にはそっちの方が好きですね。

 

まぁ好き好き言っててもういい加減うるせえので、曲についてのお話を。

 

まずタイトルですよね、『異端なスター』って、はっきり言ってこれだけでは意味が分かりません。「異端な=正統から外れた、例外的な」はまぁ良いとして、「スター」がお星様の意味なのかアイドルなんかのスターなのかが分からない。すごく失礼な話(ファンの方怒らないでw)、ちょっとおふざけの歌なのかとか想像しちゃいました。聞くまでは…。

 

で、歌詞の舞台はと言えばですね、それはそれはもう、自分にも100%身に覚えのある学生時代の話。世の中の7~8割くらいの人は共感できるのでは?と思えるような内容です。こちらの曲の一人称(主語)は「エール」を送っている人物です。だけど「僕ら」という主語が出てくるから、メロとサビで主語が変わっているのか、あるいは、エールを送っている人物も、「昔はそうだったぜ俺も」っていう目線なのか。こういう幅広い読みができるのも、歌詞の面白いところですな。

 

具体的な歌詞の内容です。今までより細かく見ちゃうよ!

 

歌詞は、”「面白く」て「見た目が良」い「人気者」”の話から始まります。まぁおそらく、クラスに1人はいるような、かっこいいのにユーモアもあるような人物でしょう。うん、いるいる(←大体運動もできる)。で、その後の歌詞で、人物の焦点が変わります。

僕らは後ろをついてまわって 照らすライトの一つとなって

それが「人生」 醜いリアルだ

 つまり、この話の主眼はいわゆる「スター」ではなく、その「スター」の後ろにくっついている、いわゆる取り巻きのような人物にあります。そんな取り巻きであることに対して「それが『人生』醜いリアル」と言ってのけるところに強い思いを感じます。

 

そしてこう続きます。

いつからか薄っぺらい友情や

寂しさ予防の恋愛が溢れかえる街で

非難の声恐れて無難な生き方貫いて

自分らしさにさえ無関心になって

「平等だ」って嘘ついた 頭を撫でられ喜んだ

なんか、もう、涙が出てきます。がこれが本当に、特に中高生には「リアル」なんだと思う。日本のような「出る杭は打たれる」文化では、目立つことは非常にリスキーです。学校くらいしか世界がない中高生にとって、そこで悪目立ちして標的になるのは字義通り死活問題です。だったら自分の意見や主張なんか殺して、周りに同調して、薄っぺらい友情に逃げたほうが安全なのです。自分らしさなんてどうでもいいと。でもそれに慣れてしまっては、誰かに認めてもらうことに重きを置きすぎた生き方しかできなくなってしまいます。そうすると自分の生きている意味は何だろう、って本気で思ってしまいます。

僕もそうでしたね、中高の時は割とずっと。別にいじめを受けてたとか、極度のコミュ障だったとか言うわけではないです。多くはないけど適度に友達はいたし、気にしすぎなければ充実はしていたと思う。それでもそう考えちゃうのが思春期というものなんじゃないかと思うんですよね。中2、高2辺りがキツかったな。

 

はい。…で、すでにサビには入ってるのですが、その後強いメッセージが放たれてゆきます。

 いい子になんてならないで!

『調子に乗って出しゃばった火をつけ回る異端なスター』

そんな汚名着せられてもいいから

どうか叫んで 歌って

何か変えたいなら どうか歌って

誰かの基準に合わせて自分を殺して生きている人にとっては、少し厳しいとも言えるメッセージにも見えると思います。実際問題、そんな簡単に変われるはずないし、無理言うなよ!と思うかもしれません。

でも、自分の人生を歩むことができないと、自己肯定感がどんどん下がってしまってそれこそ「自分の生きる意味は…?」と路頭に迷ってしまうことになるのですよね。ありがちなのは、結構小学生とかで「いい子を演じていた子」が、思春期になって息苦しさに気付いて、ガラっと崩れてしまうこと。そもそもいい子を演じているつもりもなかったから、その違和感に気づいたとき本人もきっとどうしていいか分からなくなってしまうんだと思います。

この辺、大人は本当に慎重でなければならないと思います。日本は特に規範が重視される社会だから、小学校とかでは「~であるべき」「~でなければならない」論が強くて、そこにあてはまる子は良い子、はまらない子は悪い子と見なされてしまう。最低でも親がそれとは違う軸で我が子を見てあげられるといいんだけど、親も親で「あのお母さん、子供があんなことしてるのに恥ずかしくないのかしらねぇ」と後ろ指をさされるのをひどく怖がってしまうから、結局、社会規範的な育児しかできない。そんな状況下で育てられた子の自己肯定感が下がるのは必然です。日本の子供たちの自己肯定感は先進国中最低だと言われていますが、これは非常に由々しき事態です。

 

曲からだいぶ脱線しちゃったので、戻ります。2番です。解釈は手短を心がけるとして、もう全部紹介します!笑

ねえ聞いて 空気が読めなきゃダメで

頭が良くなきゃダメで

そうやって選ばれたスター 敵わないな

僕らは後ろをついてまわって 悔し涙を隠して笑って

これが「人生」だなんて 醜いリアルだ

2番も泣けますー。特に後半の2行。取り巻きで楽しく過ごしてても、「なんで俺こんなことしてるんだろ」ってふと我に返ることあるんですよね。その時の忸怩たる思いと言ったら、察するに余りあります。2番は「『人生』だなんて」と進化していて、音程ががっと低くなってため息交じりになる感じも相まって、この「だなんて」に何か諦めの感じすら感じてしまい、もうツラい。

 

いつからか失敗ばっか重なって

自信をなくして落ち込んで 目立つことが怖くなって

尖ってるやつを馬鹿にして だけど何処か羨ましくて

鏡の前でだけ妄想に精を出して

あーもう分かるわ笑。何でしょう、この痒いところをすべて掻いてくれる表現の的確さ!

自分を出したいけど怖い、なんかやってみたけど失敗した、また怖くなった、なんだよあいつは目立ちやがって、でもなー自分を出せるのはうらやましいや…ってな。まぁ僕は鏡の前でなんかやってた覚えはないけど、でも一人でいる時とか、本当に自分を許せる友達と一緒にいる時だけ見せる自分って誰にでもありますよね。でもそういう顔を見せられる場があるならば、それはそれでいいと僕は思うんです。場があるならば…。

 

「幸福だ」って意地張った 悲しくて1人泣いていた

そんな夜から逃げないで

『愛情求めさまよった天真爛漫なディザスター』

そんな自分が好きなら胸張っていいから どうか歌って

君ならできるから どうか歌って

ちょっと1番とエールの方向性が違う感じがしませんか?特に「そんな夜から逃げないで」のところ。「自分を前に出していこうよ」というエールの中にも、「でも、つらくてみじめな自分から逃げちゃだめだ」と、ちゃんと自分に向き合うことを勧めているわけです。

深いですね。確かに「このままの自分じゃダメだ!」と思って闇雲にイメチェン図ろうとしたりすると、結局またどこかで不具合を感じてこじらせて、元の木阿弥と化してしまうものです。だから、自分はホントは何を求めているのかには、しっかりと対峙しなければならない。酷だけど、そうしないと、また失敗することになるんです。

『天真爛漫なディザスター』はなかなか独特であり、意味が特定できない表現だと思います。ディザスターは"disaster=災害"ですよね。天真爛漫な災害?!って感じですが、何かこれは「こじらせ系女子」みたいなイメージが勝手に湧きました。認められたい、愛されたいという思いから、なんか天真爛漫にふるまってみるんだけど、最終的にこじらせちゃう、みたいな…。ここはどう考えるか色んな人に聞いてみたいところ。

まぁそれはさておき、「愛されたい」と思うのは真っ当な感情だから、そんな自分をダメだと思わないで、胸を張ってよ、というメッセージだと受け止めました。

 

その後は、繰り返しになるので、最後のフレーズだけ紹介します。

どうか叫んで歌って

何か変えたいなら どうか歌って

愛を持って「声」と「言葉」で聞かせてよ

怖がらずに どうか 叫んで 歌って

この曲のテーマって、実は「」だと思うんですよね。それも、能動的な「愛」です。2番サビでは「愛情求めさまよう」っていう受動的なものでしたが、最後は「愛を持って」と、自ら愛していくことを伝えています。

愛されるためには、まずは自ら愛せよ、というのは「嫌われる勇気」で有名な心理学者アルフレッド・アドラーも言っているところです。

この愛って、別に「対・人」に限らないと思います。自分が好きなもの、打ち込めるもの。そこに愛があるのならば恥ずかしがらずに、それが好きだって堂々と言おうよってことだと思います。

人の好みには本来、優劣はないはず。あるスポーツが好きな人は優れていて、違うスポーツが好きな人は劣っているのか。あるいは、スポーツが好きな人は優れていて、そうじゃない人は劣っているのか。そんなことはないはずです。

 

でも、そういう好みの差によって序列ができてしまうのが、学校という場なんですよね。いわゆるスクールカーストというやつです。

教育者としては、ここがすごく悩ましいところでもあるのです。そういうスクールカーストみたいなものは絶対なくなるべきだと思うんだけど、じゃあどうしたら無くなるのか考えるとその答えはなかなか出ない。それぞれの子供たちが、自分の個性を発揮できる環境になってほしいとは思うのだが…。

しかし、今後の社会は、そういう強い興味関心こそが活躍していく社会だと思います。であれば、学校としてもそういうある意味”普通ではない”個性を大事にしていかなければいけないのではないだろうか。でもそのためには…と考えると、考えは尽きませんね。その辺はまた今度、取り留めなく書いてみたいと思います。

 

 

うん、なんだか色々脱線してしまいました。

 

最後に、

中高生が「異端なスター」に描かれている状況に置かれていたしても、「異端なスター」が送るメッセージを受け取り実行に移すということはなかなか難しいことだと思います。そこがいつか必ず変わっていくということを信じて教育者は実践をしていくことは必要であるとして。

であるならば、せめて大学生、あるいは社会人は、自分が好きなものを好きだと言えるような人生を歩んでいく勇気を持つべきだと思っています。他者がどう言おうが関係ない、自分の好きなものをとことん追求していく道を歩むべきです。これは、自分にも言い聞かせています(割とそうしているけど)。

 

何か負の感情でつながっている関係は、どこかで信頼感が欠けているものだと思います。もしかして自分も、裏で悪く言われてるんじゃないかなっていう邪な気持ちが介入してくるからです。

それより、好きなものを突き詰めた先につながる関係の方が、きっと純粋に楽しい。それで満足ではないかと思います。

 

長くなってしまったから、ここまでたどり着いた人が何人いるか…読んでくれた方本当にありがとうございます。でも1人にでも、何かのメッセージが届いたらいいなと思います。

 

「異端なスター」以上でした!

自己満企画はとりあえずこれにて終了!次回は何を書きましょうかね。

 

それでは~。