【書籍紹介】『池上彰の教養のススメ』
前回までは自己満ヒゲダン企画でした。やり切った感があり個人的には満足です!
(3回目は多くの方が見て下さいました。ありがとうございました)
今回は、初めて書籍紹介をしてみます。
国語教師なので書籍紹介とか一番にやりそうでは?とお思いでしょうが、それは国語教師に対するステレオタイプです。
というのも私、全然読書家じゃない笑。無性に読みたいなーと思う時もあれど、全く活字見たくないです期も割と来るので、たぶん世の皆さんが思うような「国語の先生=本が好き」には全然当てはまりません。
あとは、面白い本だなとは思っても、そこから「ぜひ読んでほしい!」というところまではなかなかいかないんですよね。これは割と、映画でもドラマでも音楽でもそうかもしれない。そもそもたぶん人から勧められることがあまり好きではないというのもあると思います。自分の直感で好きなものを見つけたい。あと、直接勧められるとなんか読まなきゃ(見なきゃ、聞かなきゃ)って気になって、実際読んで「んー」って感じだと、なんてコメントしていいか分からなかったりするのがイヤなのもありますな。
という僕ですら今日は勧めるのだから、本当に良本だということですよ!(なんて独善的なんだ…)
ブログ等の良きところは、勝手に紹介だけして、あとどうするかは皆さんにお任せ!ってできるとこですね。別に読まなくても全然結構、でも1人でも「お、じゃあ読んでみようか」と思わせることができたら、それで十分と思うわけであります。
今日紹介する本は、ぜひ!大学1、2年生に読んでもらいたい。でも3、4年生、あるいはそれ以上の大人でも、きっと発見がある本だと思います。
タイトルは、
『池上彰の教養のススメ』
なんだ池上彰かよ、ずいぶん俗だなぁ…なんて思うなかれ。まぁもう少し読んでください。
こちらの本は、2011年、東京工業大学にリベラルアーツセンター(現リベラルアーツ研究教育院)という教育機関が発足し、2012年に池上氏が教授として着任した際の、教授陣による対談や、池上氏と他の教授との対話型講義などが収録されています。理系単科の東工大がリベラルアーツ教育のための機関を発足しているということがポイントですよね。東工大にも哲学や歴史学や政治学の先生がいるんだというのは少し意外。なぜでしょうね…?
本書は以下のような項目立てとなっています。
1)教養とはなにか――教養について知っておくべき12の意味
2)日本に教養を取り戻す――日本が弱くなったのは、「教養」が足りないからです。
3)社会的合意形成――哲学の力で公共事業の問題も解決できるのです。
4)無宗教国ニッポンの宗教――日本の会社の神さま仏さまとオウム事件と靖國問題と
5)ナマコと人間の生物学――人間は「ひと」である前に生きものです。
6)米国トップ大学の教養教育――アメリカの一流大学は4年間"教養まみれ"でした
そもそも自分がなぜこの本を読んだのかというと、古典を教える教師として、自分が正直古典を学ぶ意義みたいなのがあやふやだったからです。個人的に古典は面白い科目だとは思うけど、それこそ大学受験を終えてしまえば多くの人は使う機会がないものだし、簡潔に言えば「役に立たないモノ」というイメージは拭えない。
古典はその最たるものに入れられがちだけど、たぶん同じ宿命を背負っている他の教科も結構あるんじゃないかと思うんです。いざ「これ何のために学ぶんですか?」「将来使わくないですか?」と言われたとき、明確な答えが出せず、苦し紛れなことを言うしかないみたいなことも多少はありました。
ただ一方で、実学に偏った教育というのは危険だよなという気はなんとなくしていて、「池上さんなら、それを腑に落ちるように言語化してくれるに違いない!」と思って読んだというのが一番の理由ですね。
まぁ、期待どおりでしたよ。
内容言っちゃうとつまらないので詳しくは割愛しますが、読んで思ったこと、発見したこと、変化したことを羅列したいと思います(陳腐な感想を含む)
・日本の教育の問題点が非常にクリアに説明されていると感じた(本書は高等(大学)教育が中心だが、中等教育にも十分言えることだと思う)
・理系学生が文系科目を学ぶ意義(つまり教養を学ぶ意義)が腑に落ちた。
・と同時に、文系学生が数学や科学を学ぶべき理由も分かった。
・学問と社会というのがどう繋がるのかが明確になった。
・これだけ色々と考えている大学の先生に教わりたかった。
・というか、大学時代(や大学入学前)にこの本を読んでいればもうちょっと違う大学生活だったかなと思った(学問という点で)
・だけど今から教養を手に入れていくことは十分できるとも思った
・日本の大学とアメリカの大学の目指すものが全然違うことを知るとともに、こりゃ日本の大学勝てるはずないがなという敗北感を得た。勝ち負けじゃないけど、かといって日本の大学が良いとは正直思えない。僕の出た大学も前期2年は教養課程だけど、だいぶ無駄にしたなーと少し後悔(大学の先生のせいも些かはあると思っているが←)
・ダイバーシティと教養にそんな関係があったなんて…!
★「単位が簡単に取れる授業が最もコスパが悪い」ということの衝撃(これ大学生注目、少し後述)
★個人的には宗教学と生物学にとても興味を持った。それはいわゆる"主専攻"ではなく、自分の主軸である「教育」というものとの結びつきという点で。一見関係性のない学問が、実は根のところでつながっていたり、本質を考えるヒントになったりするということにとても驚いた(これが正しく教養だ!と痛感)
・とにかく今の大学生(特に「なんで般教なんて取らなきゃいけないの」と思っている大学生)にはぜひ読んでもらいたいと思った! →紹介するに至る
ザーっと書いたので、だいぶ陳腐な表現が並んでいますが、特に★をつけた2つはぜひ現役大学生、というか全ての人に伝えたい。
「単位が簡単に取れる授業が最もコスパが悪い」というパラドックス的表現について少し話します。
大学生は、出席いらない(代返OK)、課題ないっていう授業をいかに探すかということに躍起になりますよね。否定しているわけではないです、僕もそうでしたから。
東大には「逆評定」なる、当時は「神雑誌」とすら思っていたモノがあるのですが、そこには、大半の教授および授業に対する生徒からの評価が"アンオフィシャルに"書かれておりましてね。その評価も数字とかじゃなくて「仏」とか「鬼」とか中には「神」とか「殺戮者」とかもいて、勉強ばかりしてきた成り上がり大学生には刺激的で面白かったのですよ。それで入学早々にその存在を知ると「おー、この授業はカンタンに単位が取れるのか!自然科学興味ないからこれで楽に単位取ろっ♪」っていう短絡的思考に陥るわけです。大してオリエンテーションにも行かずに。
ただ、今考えると、「自分は何のために大金を払って大学に行ったんだろうか」と思うわけですね。日本の大学教育費は世界でも相当高い方ですよ。ただ「○○大卒」というブランドを得るために最低200万以上(私立なら300万以上!)を払うというのも、まぁ今の社会では無意味とまでは言いませんが、でもそれだけじゃ勿体ないのは言うまでもありません。
とどのつまり、「簡単に単位が取れる授業は高コスパ!」という考えは、「大学は単位を取るためにある」という、スタンプラリー的発想によるものですよね。そこで何を学んだか、どんな力を付けたかというのはどうでもよいと。
いやこれ、大学生が悪いんだというつもりは全くありませんよ。だって社会システムがそうなっているから。多少シフトしたとはいえ未だに「○○大卒」がブランドとなる社会。それを高校教員も多くが体感してきたから、「とにかく良い大学に行け」といって詰め込みで受験勉強をさせる。そうなれば大学生くらい遊びたいよね好きなことしたいよね自由がいいよね!!ってなるのは必然です。
コロンブスの卵複雑版って感じで、どこが問題の発端かもはや分からないけど、でもどこかが変わらないと全体も変わっていかないのもまた事実なのです。社会を変えるためには、個人が変わらないと基本変わりません。社会は個人の集合体だから。独裁国家とかじゃない限りね。
それに社会が変わるには大きなエネルギーが必要なんです。9月入学が頓挫したのもそういうことですたぶん(9月入学超賛成派ではないけど、このまま形状記憶的力学がぐーんと強くなって日本の教育が改善できなかったら、いよいよ日本終わりだな、と大変危惧しております。割と大げさでなく。)
また脱線しちゃった。つまりですね、大金払ってるのに得られるものがとても少なかったらそれってすごくコスパ悪いでしょ?、だから、すっごい端的に言えば、せっかく高いお金払って大学行ったんだから、しっかり学ぼうよ!ということです(こう書くとすごいキレイごとっぽくてヤだわ…)
以前、「お金は投資と思って使うべき」という内容を以下のブログの後半で触れましたが、これもそれです。もちろん大学外でできる学びはたくさんあるので、そちらに精を出すのも良いことです。だけど、単位は取らなきゃいけないものなんだから、どうせ取るなら有意義で価値あるものにしようよ、と今になるととても思うのですね。つまらない授業を無理にとる必要はないけどね!多少課題が多くても、面白いなら、タメになりそうなら取ろうよ!ということです。
最近はコロナの影響で、大学生も出席代わりの課題が大量でなかなか大変だという話を聞きました。
お気の毒に、、とは思うものの、でもこれ現大学生にとっては良かったのでは?とも思うわけです。こんなことでもなかったら、せっかく大学に行ったのにロクに学びもしない学生はもっと多いはずですから(世の中的にね)
(本の紹介どっか行っちゃってましたが無理やり話を戻すと)
アメリカの大学は、それはもうものすごい課題量だそうです。事前に資料を大量に読まされる、授業に出ればプレゼンやらされる、終われば小論文を書かされるという具合に。それに、何をそんなにやることがあるんだと思えば、かなり”教養”というものを徹底的に叩き込まれるという。MIT(理系世界トップ)では、大学生では専門すら学ばないと。衝撃です。でもとても理にかなっていると思うんですよね(詳しくは本書参照)
僕は、このまま大学はがっつり学ぶところになっちゃえばいいのに(この言い方がすでにパラドキシカル)と思います。一方で、全く自由がないとそれはホントに気の毒すぎるから、大学入試システムも、企業の一括採用とかもぜひ合わせて変わるべきと思います。
話があっちこっち行って失礼しました。
『池上彰の教養のススメ』
大半が対談形式なのでとても読みやすいし、「教養」というものの意義や必要性が良くわかるうえに、今まで触れる機会が少ないであろう「哲学」「宗教学」「生物学」という学問に興味を持つきっかけも与えてくれる良書だと思います!
滅多に本を勧めない僕が勧めていますよ!笑
リンク張っとくので、良かったら覗いてみてね。なんかAmazonがうまく貼れなかったから、飛んだ先からさらに飛んでください。気にしない人は中古でも良きと思いますよ(ちなみにアフィリエイトではないから安心してね)
次は、この本を読んで考えたことでも書いてみようかな。
それでは!