雑食系 国語教師の【Pillow Book】

春はあけぼの。国語とか教育とか、音楽とかメディアとか、旅とか社会とか人間とか。日本。

【映画随想】『パラサイト~半地下の家族~』

今日は映画のレビューとかしてみます。

もうこのブログは本当に何でもござれなのでw

特段映画好きというわけではないですけど、まぁ素人だから思うこと、語れることもあるのかなと思って。

 

今日お話しするのは「パラサイト~半地下の家族~」について。

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言わずと知れた、アカデミー賞を受賞した韓国の作品です。外国語映画としては初めての受賞なんですってね。普段は反韓がハビコるネット上でも、さすがに称賛を浴びていました。

 

以下、ネタバレ含まざるを得ないので、まだ見ていない人で、これから見たいという人は読むのをお控えください。

 

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韓国語タイトルは「기생충(キセンチュン)」。

お分かりですかね、漢字だと「寄生虫」です。つまりパラサイトというのは日本語訳、というか英訳の輸入みたいなプロセスなんですよね。個人的には「寄生虫」の方が、あの話のオゾましい展開的にはよい気もしますが、まぁしかし、実は字幕翻訳の根本理恵先生は、僕の大学時代の韓国語の師のおひとりなので、

 

「パラサイト」でよいと思います!笑

 

(余談ですが、根本理恵先生はパラサイトのほかにも「猟奇的な彼女」などの字幕翻訳から、少女時代、SHINeeチェジウ、キムヨナなどの韓国有名人の通訳もこなす、韓国通訳界の第一人者なのです!東大で韓国語勉強している人は絶対会うべき!笑)

 

僕が見終わってまず思ったことは、「あー、これはエンタメ作品だな」ということ。もちろん違う感想も多くあるでしょう。結構胸をえぐられるような描写もあるので。でも僕は総じてそう思ったんですよね。

 

作品のテーマは「格差問題」。

「半地下」と呼ばれる空間に住む貧困層家族と、明らかな豪邸に住む富裕層家族がメインキャラクターなので、それは誰が見てもわかると思います。

 

ちなみに、「半地下」ができたのには北朝鮮が関係してきます。簡単にいうと「防空壕」的役割で、有事の時に避難所として使用するために、住宅建築の際、「半地下」のような地下設備が義務化されたのだそうです。そして1975年ころ、ソウルに大量の人が流入した結果、そのような「悪環境」の半地下に貧困層が住み着いたのですね。

やはり半地下という空間は、太陽光が射さない、電波が届かない、下水処理に不備がある、雨が流れ込む、湿気がたまる、など、まぁとにかく住むには全く適さないわけです。

それを説明ではなく複数のエピソードから、なんなら一部は面白おかしく描写していたのも見事でした。

 

格差問題を映画化すると、ややもすると暗い映画となりますが、「パラサイト」にそういう印象はあまりありませんでした。ハッピーエンドというわけでもないですけどね。

 

韓国ドラマにはまるオバ様やガールズが結構いますが、韓国ドラマのストーリー展開の特徴は「劇的」だと思います。だからドキドキを求める女子たちに人気があるのかな。

日本ではストーリー展開に理屈を求めがちですよね。だからスムーズに話が進んでいくのですが、一方で、スムーズであるためにそこに意外性や刺激は感じにくい。最近のドラマだと、「おっさんずラブ」とか「コンフィデンスマンJP」とかはその辺うまくいった気がしますが、他のドラマは、展開がどうもスローすぎて僕はお好みでありません。

 一方、「いやそれ無理やり過ぎないか」という展開や設定であっても、結構ごり押ししてしまうのが韓国ドラマだったりするわけです。

今回であれば、半地下家族の長男の家庭教師能力の高さとか、半地下家族の長女の画像偽造能力の高さとか、半地下家族全員の(役としての)演技力の高さとか、まぁとにかく設定としては結構無理があるんだけど、そこは映画のもつフィクション性という点で許されるのかなと思います。

 

前半はくすりと笑えるシーンが割と多く出てきます。しかしあるところから話が急展開してくる。急展開というより、まさに急転直下という感じでしょうか。まさか”半”地下よりさらに上(というか下)があったとは…。

 

そういう意味でやはり「“半地下”の家族」というサブタイトルを付けた根本先生はさすがですね!笑

 

「パラサイト」が良くできているなぁと感じたのは、そういった「格差問題」という重いテーマを扱い、社会に内在するシリアス問題をリアルに描写しながらも、コメディサスペンス現実非現実など、映画にまつわる様々な要素が2時間に丁寧にパックされているところです。

とにかく2時間見ている中で、色々な感情が目まぐるしく自分の中で展開していくので、飽きることのない映画だったなと思います。

 

 

「格差問題」を扱っている点で、是枝裕和監督の「万引き家族」と比較されることも多いそうですね。まぁ僕的には、似て全く非なるものかなと思います。だからこそ、それぞれはそれぞれでよい作品なのかと。

 

しいて言うなら、「万引き家族」はやはり日本的な映画だと思います。

万引き家族」を見ていた時に感じたのは、「もはやこれは映画なのか?ドキュメンタリーなんじゃないか?」とでも言えそうなほどのリアリティなのです。もちろん「そんなことあっちゃいかんだろ」というアンリアルな展開ではあるのですが、良い意味で淡々と紡がれていくために、そういう錯覚を起こさせるのだろうと思います。

一方の「パラサイト」は、再度言いますが、ドラマチックな展開でエンタメ性も強い作品です。韓国ドラマとアメリカのドラマに類似性があるように、やはり韓国映画の方がアメリカの映画との親和性は高いでしょう。

そこはもはや、映画製作の手法とか美学とかの違いだと思うので、日本映画がアカデミー賞をとれないから、日本映画より先に韓国映画アカデミー賞をとったから、韓国映画の方が優れているということには決してならないと思います。もちろん逆もしかりです。

これはKアイドルとJアイドルにも言えそうですね。韓国アイドル、日本のアイドルについても追々書きたいと思っていますが。

 

というわけで、今日はとても内容の薄い映画レビューを書いてみました。

すみません、でも結局は、「自分で見て」というよりほかにはないと思うんですよね笑。

レビューっていうか、自分の中での備忘録ですね。

ただまぁ、一つ言えるのは、「パラサイト」は一見の価値ある作品だと思います!

なんなら僕、もう一回見たいなぁと思っていますね。

 

これを読んで少しでも興味持った人は、

パラサイト~半地下の家族~」ぜひ見てみてください!

 

 

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P.S. これは劇中で「ジャージャー・ラーメン」と訳されているもので、韓国語では「빠파구리(チャパグリ)」と言われています。2つのインスタントラーメン(「チャパゲッティ」と「ノグリ」を合わせて作るんですが、これを「食べたい」と思ってすぐに作れる我が家は、もはやリトルコリアではないかと思いました。。。

おいしい!けど、僕はノグリ単体の方が好き。……どうでもよいね。

これからの日本の「部活動」を考える

これでようやくシリーズ最終章を迎えます。

まぁまだまだ言いたいことはあるんですけど、シリーズ縛りをしてしまったばかりに、違うテーマのことが全然書けないので、とりあえず今日で最後にしたいと思います。

絶対に…!!

 

これまで、①教員の業務、②教員の給与事情、③部活動の問題点

と3回書いてきましたが、ラストの今回は、タイトルにある通り、

「これからの部活動」についてです。

 

今日の内容は今までと違って、かなり僕の主観が入ることになりますので、異論反論なんでもござれです!

 

前回の「部活動の問題点」を簡単におさらいすると、

1)教員の長時間労働の原因

2)慢性的な肉体故障の原因

3)頑張りすぎる人の生産

4)人間関係の固定化

の四つを僕は上げました。

これだけ見ただけだとわからないと思うので、前回のものをまだ読んでいない方は、一度読んでいただくのをオススメします。

 

mrmr130.hatenablog.com

 

さて、本題です。

これからの日本の部活動はどうあるべきなのでしょうか。

もちろん、何かを変えるということは、それまでの良さがある程度は失われることになるので、実際に考えるうえでは天秤にかける必要はあります。

これまでの部活動とどっちがいいか、という視点で考えてみてください。

 

まず、よく語られる方法の一つが「外部指導員」の導入です。

確かにそれができれば、教員の労働時間の問題は解決されるでしょう。

また、前回は言及しませんでしたが、部活動顧問は必ずしもその競技専門の先生が顧問になれるわけではないのも、現在の部活動の大きな問題の一つです。それも解消できるかもしれませんね。

しかし、実際は結構難しい、というのが現状だと思います。

 

それは純粋に人員の問題です。

すべての学校のすべての部活動を賄えるほどの人員を用意することは、果たして現実的でしょうか?

 

それに、部活動顧問は、現在の文部科学省ガイドラインによれば、実労働時間は「平日3時間×4日(あるいは5日)、休日4時間×1日(あるいは2日)」となるはずです(オーバーしている部活動は山ほどありますが…)。

となると、週の労働時間は16時間。

これでは、「正規職員」として働くのは無理です。

 

パートタイムでやるにしても、平日の放課後15~18時などに学校に来られる人はかなり限られますよね。どこかのフィットネスクラブなどと提携するにしても、その時間は、クラブ側にとってもゴールデンタイムでしょうから、来てもらうのはとても難しいでしょう。

元教員だったシニア世代などといっても、安全管理上の問題等があるのは否めません。

 

結局のところ、現状で「外部指導員」というのはあくまで「補佐的」な役割しか担えないのであって、根本的な解決には至らないというのが、今の僕の意見です。

 

それに、「外部指導員」にするだけでは、上記の2~4の問題は解決できません。むしろ「外部」の人は、「内部」の事情が見えにくいため(例えば、今週は行事前で忙しいとか)、学内の活動とのバランスがとれず、活動過多になる可能性すらあるかもしれません。

 

そこで、今僕が提案したい方法は、「シーズン制部活動の導入」です。

(お気づきでしょうが、かなり運動部寄りの話になります)。

 

「シーズン制」というのは、例えば、4~7月はサッカー、8~11月は陸上、12~3月はラグビーのように、時期ごとに行うスポーツ・種目を変えるというものです。

欧米の学内部活動ではこのような「シーズン制」が定番となっています。

欧米では3シーズンが多いようですが、まずは2シーズンから、というのが僕の考えです。仮に、日本の暦に合わせて、夏季(4~9月)/冬季(10~3月)としておきます(もっといい区切り方があるかもですが、「仮定」としてください)

 

夏季と冬季の種目は基本被らせません。

例えば、サッカーをメインにやりたい子であっても、冬季には別の種目をやるか、あるいはその半年は部活動はやらないか、生徒が選択をします。

どんなスポーツをラインナップに入れるかは議論の余地があるところですが、近しい性質の種目は夏と冬に分ける、などとするのがよいでしょうか。

 

こうすることによって、どのようなメリットがあるのか、ひいては、どのように(1)~(4)の問題が解決されるのか、説明を試みます。

 

1)教員の長時間労働の原因

現状の多くの部活動には「オフシーズン」というものがないように見受けられます。

特に対戦型のスポーツでは、1つの大会に1か月近くかかることもあるでしょう。さらには、春夏秋冬、それに加えて地区や市民、私学大会など、1年間大会があれば、あまりにも目白押しです。

試合が日曜にあれば、土曜日に練習をしなければという気になるでしょう(試合前日の練習が必須なのか、は僕にはわかりませんが)。すると、顧問教員は1か月休みがない!という状況に陥るのです。それも1年じゅうずっと。

シーズン制にすれば、確かに半年間は忙しいでしょうが、残りの半年は時間に余裕ができるようになります。教員にも余暇は必要です。それは必ずしも遊び中心の「レジャー」だけではなく、家族との時間や自己研鑽の時間なども含みます。むしろ、教員だからこそ、そういう余暇の時間は重要なのではないでしょうか。

一方、「部活動命!」のような先生がいるのも事実です。そういう先生には少し物足りなくなるかもしれませんが、それでも例えば「バスケットの指導命!」という先生がいたとしたら、夏季は女子、冬季は男子などとすれば、1年中バスケの指導自体はできるかもしれません(男女では指導法も違うし、第一、長時間労働解消とは逆行してしまいますが…)

 

2)慢性的な肉体故障の原因

中高の時期は一生付き合っていくべき自身の身心を育てる重要な時期です。

 

シーズン制にすれば、似たようなスポーツであっても、体の使い方が違うことがしばしばあるため、特定の部位が酷使されるということは少なくなるのではないでしょうか。

またこれに関連しつつ、さらに体に良い点もあると僕は考えています。

よく鍛えられる体の部位は、その競技ごとに異なるでしょう。足を多く使う競技なら当然足がよく鍛えられるし、利き手を圧倒的によく使う競技なら利き手の半身が鍛えられることになります。

しかし多くのスポーツでは、体のバランスも重要になります。複数の競技で全身のあらゆる部位を鍛えておくと、少なからず自分がメインで頑張りたい種目にも良い影響をもたらしてくれるはずです。

プロのスポーツ選手は、オフシーズンには自分の専門ではない種目で体を鍛えることもあるようです。気分転換にもなりつつ、自分の専門ではなかなか鍛えることのできないパーツを鍛えられるのであれば一石二鳥です。

 

3)頑張りすぎる人の生産

日本の部活動ではしばしば「途中でやめる」ということが悪のように語られてしまします。「継続は力なり」という言葉自体に正しさはあると思うものの、それだけが正義で美徳であるかのように語られるのは、僕は間違っていると思います。

 

シーズン制では、1つの競技に毎年"節目(区切り)"があることになります。そして1年で2つの競技にトライすることができるので、自分が本当はどっちが好きなのかを知ることができるし、あるいはどちらも好きじゃないと感じれば、"節目"のところで他の競技にトライするというハードルも現在よりはだいぶ低くなると思います。

今の時代、やりたいものもやれずに、嫌なものを無理に続けるということが必要な時代ではありません。むしろ貪欲に自分の本当に好きなものを追い求め、自己実現をしていくことが重要ではないでしょうか。

 

4)人間関係の固定化

3年間または6年間、同じ仲間で苦楽を共にすることで生まれる友情はかけがえのないものだと思いますし、心から良いと思えているのであればそれで良いでしょう。

しかし一方で、そういう固定化されたグループに心から馴染めず苦しむ子がいるのも事実です。

シーズン制にすることで、部活動において作られるグループの固定化は少し緩和されることでしょう。仮にメインの競技がバスケであったとしても、サブの方で違うものを選べば、作られるコミュニティは変わります。それに、そのバスケ部にも、本来は他の競技がメインの子がサブとして所属していれば、人間関係のグループはかなり流動的なものになります

また(3)に関連して、もし人間関係が嫌であれば、"節目"を境に前とは違う競技を選ぶことも少しは容易くなるのではないでしょうか。

シーズン制を導入すると、部活動で1つのスポーツに打ち込むことはできなくなります。しかしそうなれば、(競技によっては難しいですが)ある競技に打ち込みたい子は学校外部のクラブチームなどに所属するようになるかもしれません。すると学校外部にもコミュニティを持つことになり、様々な人と交流する機会が増えます

競技に打ち込むことが目的でなくても、例えば半年間は校外の違う競技や種類のサークル活動などに参加することもしやすくなりますね。とにかく、時間的に余裕ができるということは、人間関係を広げることのできるチャンスが増えるということだと思います。

 

以上、現代の部活動が抱える4つの問題点を「シーズン制部活動の導入」で解決できるのではないかと考えてみました。

 

もちろん「シーズン制部活動」にもデメリットはあるでしょう。

現在のように、一部のスポーツを除き、プロやオリンピックレベルの選手を育成するのが部活動の役目である場合、シーズン制部活動ではレベルの低下は免れません。

しかし僕は、プロやオリンピックレベルのアスリートを育てる場が部活動である必要はないと思うし、むしろそうあるべきではないと思っています。学校の部活動が教育的に担っているものは、必ずしも「競技力の向上」だけではないからです。アスリートの育成は、徐々に学校外部のクラブチームや組織に移行させていくべきだと思います。

 

いきなりが無理であれば、まずは中学からというのも良いでしょう。

特に中学生は体を作る時期であり、人間関係も脆弱な年頃です。初めのノリで入った部活動が本当に自分に合っているのかもわからないかもしれない。

中学生がシーズン制で複数の競技にトライするメリットは十二分にあると思います。

中学校で複数の競技にトライし、自分にある競技を見つけて高校では専門的に打ち込むというのはありかもしれませんね。

 

まぁ、こんなところでこんな提案をしても何も変わらないんですけど笑。

何はともあれ、部活動にまつわる問題が解決しつつ、さらに変わったとしてもそれはそれで多くの生徒たちにとって良いものになっていったら良いですね。

 

多くの人が関わってきた部活動だからこそ、

皆さんにもこれからの部活動をそれぞれ考えてもらいたいなと思います。

 

とりあえず、このシリーズはここで終了。

また思い出した頃に、こういう話を書いてみようと思います。

 

次回以降のネタは…

なんとなく決めてはいるものの、

気が変わるかもなので、まだ黙っておきます笑。

 

 

読んで少しでも面白い・興味深いところがあれば

ブックマーク、スター等よろしくお願いします★

コロナウイルスによる全国一斉休校の本当の目的とは?

部活動の話を続けてしてきましたが、

今日は少しタイムリーな話を書きたいと思い、

いったん「号外」を挟むこととします。

(部活の件も近々書く予定です)

 

本日2月27日6時半過ぎ、安倍首相より、

コロナウイルス感染拡大防止のために

「全国一斉休校」の要請が出されました。

これに関しては、

様々な意見がネット上でも交わされていますね。

 

子供の健康には的確な対応だという意見もあれば、

両親共働きの場合、

特に小学校低学年の親は仕事を休まざるを得ず、

苦境に立たされるという意見もあります。

 

それらを見ての

僕個人の勝手な意見(というか感想)としては、

「子供の健康のため」というのは、

正直建前なんじゃないでしょうか…?

 

僕がまず引っ掛かったのは「全国一律」という点。

2月27日現在、

東北や中国地方は感染者が確認されていません。

北海道や東京、神奈川、愛知など、

感染者が2ケタ以上の都道府県はさることながら、

感染がいない地域まで「一律休校」というのには

違和感を覚えざるを得ません。

 

次に、なぜ最初に「学校なのか」という点。

新型コロナウイルスは未知が多くあるとはいえ、

現状で10代以下の感染者はそれほど多くなく、

また感染者であっても重篤化はしていません。

それに「学校」というのは、

一般社会に比べてかなり閉鎖的な空間です。

公立小学校の児童であれば、

その行動範囲は家と学校の間の範囲に限られるし、

一般社会人に比べて

よほど感染リスクは低いわけですよね。

大人である教員の行動範囲も狭いと思います。

 

つまり、「学校を休校にする」ということに、

本当に感染拡大予防の効果があるのかは、

僕には甚だ疑問なわけです。

 

では、本当の目的とはなんでしょうか?

 

それは「働き方改革の推進」ではないかと、

僕は勝手に考えました。

現にネット上にも、

「共働きの親はどうするのか」という意見が

あちらこちらに見えます。

でも、これって、

本当に「働き方改革」が進んでいて、

自由に有休などをとれる文化が確立していれば、

おそらくまず見られない議論なのだと思います。

北欧等でそんな議論が出てくるとは思えません笑

 

実際に休校になってしまえば、

共働きの親の片方は休まざるを得ないでしょう。

そして、どちらもが正規で働いているとすれば、

母親だけがずっと休みを取るのは難しくなり、

父親も休まざるを得ない状況になります。

これまで育休の取りづらかった男性の有休取得や、

テレワークの推進につながる可能性も大なりです。

 

実際に今、

多くの企業がテレワークを進めていますよね。

コロナウイルスの騒ぎになる前にも、

夏のオリンピックに向けて、

テレワークを導入・推進する企業が増えている

という話を聞きました。

 

この機会をもって、

男性が休まざるを得ずに休んだり

リモートワークをしたりするようになって

それで問題がなければ、政府としては、

「ね、男性が休んでも問題ないでしょ?

 リモートワーク意外といけるでしょ?」

と言えるようになるわけです。

 

もちろんそれによって、

都心などの人口密集地の密度を減らして、

感染拡大を防ぎたい、

という意図もあるでしょうが。。。

 

国としては、さすがに

経済活動を全部止めるわけにはいかないし、

止めるほどの感染者数でも正直ないので、

「全国一律休校、子供の健康・安全のため!」

というのは、大義名分としては

とてもちょうどよい材料だと思うんですよね。

 

なんか、コロナをうまく使って、

働き方改革を一気に進めてやろうって、

政府にうまくしてやられている気がします(笑)

 

あ、

もちろん働き方改革はとても良いことなんですよ。

どんどん進んでいってほしいと思っています。

 

「北風と太陽」の

「太陽的作戦」をうまく使われてんのかな、

って勝手に思っていたのでした。

 

今日はただのエッセイです。

こんな感じで

気楽に好きに意見書くのもよいですね。

 

こういうのもアリ!という方は、

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今の日本の「部活動」…考えうる問題点について

前回からかなり時間が経ってしまいました。

前々回は「中高教員の業務」について、

前回は「教員の給与事情」について。

今回はいよいよ「部活動」についての話をしたいと思います。

 


部活動は、教育課程外にありながら、生徒にとっても教員にとっても、色々な意味で重要なものとなっています。

学校には部活をしに来るという生徒も少なからずいるし、部活だけとは言わないまでも部活に比重を置く教員もそれなりにいます。

 


それだけ部活動に魅力があるということは事実だと思います。

実際、部活動を通して成長した生徒、

部活動があったから登校できた生徒、

そういう生徒を多くみてきました。

 


しかし、部活動によって様々な問題が生じているのも、これまた事実なのです。

「部活動は素晴らしい!」と思う裏では、部活動によって辛い思いや、場合によっては取り返しのつかない事態を被っている人もいます。

 


常に世の中には保守と革新のイデオロギー対立は存在します。

保守派の意見は大抵、「今までの〇〇の良さ(伝統)が失われる」と言い、変えることに反対します。

その点も正しく事実ですが、状況が悪化しているとしたら、そんなことも言ってられませんね。

 


僕的には、部活動にまつわる問題は、そのレベルまで到達しつつあると感じています。

 


問題点をあげてみます。

 


(1)教員の長時間労働の原因

真っ先にあげられるのはこれです。

OECDのTALIS(2018)という調査によれば、日本の中学校教員の労働時間は最長で56.0h/週。

参加国48カ国の平均は38.3h週と20時間近い差があります(月ではなくて週です!)

僕が驚いたのは、それよりは次の結果です。

まず、課外活動にかけている時間。平均が1.9h/週に対し、日本は7.5h/週。

それで授業にかけている時間(授業自体と準備の合計)はというと、平均が29.1h/週に対し日本は28.5h/週です。

どういうことか分かりますよね?

 


さらに、日本の学校教育は世界に比べて、AL(アクティブラーニング)やICT教育(情報技術教育)、が遅れているということも分かっています。また、日本の英語力は非英語圏の先進国で非常に劣っているということも。

僕個人、ALやICT・英語教育は絶対に大事だ!という立場ではないのですが、国や世の中がすぐに踊らされて、「そういうのもやらなきゃ!」ってなるから、日本の教員は、上の忙しさに加えて、こういった新興勢力の対応にも追われざるを得ないのです。

対応しないにしても、長すぎるのは事実ですよね。

部活によっては、大会などが入れば、1ヶ月にほとんど休みがないということも結構あるようです。

もちろん、部活動だけが原因ではありませんが、電通NHK長時間労働に近い状況が、教員にはよくある、ということは知っておいてください。

 


2)慢性的な肉体故障の原因

甲子園での球数制限などの話は有名ですね。

僕はバレーボールが好きでよく見るのですが、先日行われた春高バレーでの話。

熊本の鎮西高校に水町泰斗という選手がいました。

主将であり、高2で全日本ユースでも主将になるようなエースプレイヤーです。

鎮西は彼が高1だった2年前に春高で優勝を果たし、今年2年ぶりの優勝を目指していましたが、残念ながらベスト8で敗退。

もちろんそれは、鎮西というチームの敗北なのですが、このチームの戦い方は、かなり多くのトスを水町君にあげ、そして彼が決めるというもので、当然大会が連日続けば疲労がたまります。さらに、その準々決勝は、その日の午前に試合をした後に行われたのです。

彼自身は非常に将来有望な選手だと思いますが、こんな使われ方をしていては、当然体に影響がでてくるでしょう。仮に今は大丈夫でも、数年経った時に、使い物にならない体になってしまうかもしれない。

 


これはあくまで一例ですし、プロレベルの話に見えるかもしれません。

しかし実際に、毎日のように部活に励む中で体を壊してしまう生徒は少なくないように見えます。

水泳などの全身運動以外の多くのスポーツは、いくつかの特定の体勢を瞬発的に繰り返すため、特定の箇所が酷使され、故障しやすくなります。若いうちは平気であっても、数年後、あるいは数十年後にガタが来ることもあるはずです。

 


部活動(運動部)の本来の意義には、健康な体を作ることや生涯スポーツに親しめるよう素地を作ることなどかあると思いますが、壊れやすい体を作るというのは本末転倒ではないでしょうか…?

 


3)頑張りすぎる人の生産

この辺からは少し主観が入りますが、一意見としていて見てもらえればと思います。

日本は言わずと知れた自殺大国です。

自殺には色々原因があるでしょうが、うつ病は大きなファクターの一つだと思います。

うつ病になってしまう人は、その多くが「真面目」であると言います。

頼まれたら断れない、最後までやり通さないと気が済まない、一度始めたらやめられない、そういういわゆる「真面目」な人が、どこかで堰が切れたように何も出来なくなってしまう。

 


現在の日本の部活動では、よく考えてみるとそれに似た状況が生み出されがちです。

入学後、一度ある部活に所属したら、卒業までやり遂げようとします。どこかで迷いが生じて顧問に相談をすれば「やり遂げることが大事だ」と諭される。3年あるいは6年やり遂げればよくやったと称され、逆にどこかでドロップアウトすると、意志の弱い人だと見みなされる…。

 


さらに、本来自主的な活動であるはずの部活動の場で、顧問が生徒の自主性を重んじることなく、あれやこれやと指示を出しまくり、それに従うだけの部活動であれば、そこで育った生徒はたちまち指示待ち人間になってしまうかもしれない。

AIが人間を超えるシンギュラリティが2045年と言われる今、必要とされるのはこういう指示待ち人間でないことは明らかですね。

 


皆さんの所属していた部活動はどうだったでしょうか?

 


指示待ち人間ではなく主体的に動ける人が求められる現代、そして、自分に合わなかったりさらにキャリアアップしたいと思ったら転職が比較的容易にできるようになった現代。

自分の意志でもって何かをやり遂げることはとても尊いことだし素晴らしいことだと思いますが、やり遂げることだけを唯一の価値とみなすような部活動は、残念ながら時代錯誤であると言わざるを得ません。

 


4)人間関係の固定化

部活動で密な時間を共にした仲間は、かけがえのない一生の友人になることでしょう。

それは卒業した後でも自分が帰ることのできるホームとなります。

 


しかしその一方、むしろだからこそ生まれるデメリットもあるかもしれません。あくまで可能性の話です。

部活動の仲間は放課後や休日などの多くを共にすることになるかもしれません。場合によっては、休み時間も含めて、全て一緒ということも考えられます。

そうすると、他の人と交流することが稀になります。中高生はできれば様々な人と交流してインスパイアされた方が良いというのが僕個人の意見ですが、それは難しくなります。

また、そこにうまく馴染めない生徒はどうなるでしょう。部活は馴染めない、けれど他の人たちは同じ部活の人達ともうグループを作ってしまっている。だから独りにならないためには、部活に留まっているしかない…という恐怖感を持つかもしれない。部活こそが人間関係の全てと思い込んでしまう生徒は少なくないと思います。本当はそんなことないのに…。

逆に部活の人間関係が心地よすぎると、卒業後色々な人と出会っても「前の方が良かった」と懐古趣味に陥ってしまう人もいるかもしれません。

 


先ほども言った通り、これはあくまで可能性の話であり、部活動のすべての人間関係を否定してるのでは全くありません。

 


しかし、またうつ病の話になりますが、そのような精神疾患にかからない人の特徴に、「様々なコミュニティに属している」というのがあるそうです。

家族と職場(または学校)だけでなく、地域や趣味のつながりなど、色々なところに属していると、どこかでトラブルなどがあっても他の場所で発散し対処できるのでしょう。それはその通りのように思います。

 


色々な人と関わったり、色々なものに興味関心を持ったりすることは、中高生には特に大事なことだと僕は思っています。

 


長くなってしまいました…^^;

まだあるかもしれませんが、今日のところはここまでにしたいと思います。

本当は今日でこのシリーズ終えるつもりだったのが、勢い余ってどんどん書いてしまったので、もう一回だけ続けます(笑)

 


書いた内容で、気分を害してしまった方がいたら申し訳ありません。

もう一度言いますが、僕は部活なんて無意味だ!やめてしまえ!という廃止論者ではありません。

ただ、良い点の裏では、色々な負の側面もあり得るということは、部活が好きだった人にも知っていてもらいたいのです。

 


これからの教育の未来、

日本の未来のために。

 


何か内容に間違いや意見があれば、忌憚なくお願い致します!m(_ _)m

 


次回は、

それではこれから部活動をどうしたらいいのか

を自分なりに考えてみたいと思います。

教師のお給料事情…!【天下の悪法「給特法」】

前回の記事で、

教員の仕事」について書きました。

 

mrmr130.hatenablog.com

 

本当は「部活動について」の自分の意見を

今回は書こうと思ったのですが、

書きたいことを書くのには

もう少し整理が必要なため、

今回は「教員の給与事情」について

書いてみようと思います。

 

「教員の給与事情」について語るうえで、

欠かせないのが「給特法」というものです。

「公立の義務教育諸学校等の

 教育職員の与等に関する別措置

を略したものですね。

「公立の小中高特支の先生の給与は、

一般企業のそれとは違う措置を取りますよー」

ということを示したものです。

 

特別措置とはどのようなものか。

 

教員の仕事は勤務時間の管理が難しい

という特殊性があります。

そのため、それを考慮して、

休日勤務や時間外勤務等の手当は支給せず、

その代わりに、

給料月額の“4%”を基本給に上乗せして支給する、

というもの。

 

「働いても働かなくても、

 あらかじめ残業代がもらえてるなんてお得ー!」

と思われますか?

 

…よく計算してみてくださいね。

(普段計算するとあまりに悲しくなるので避けているのですが)

 

…ではここで、算数の問題です。

 

大学院を卒業したばかりの教員Aさん。

基本給は25万円です。

まぁ大学新卒と同じか少しいいくらい?

Aさんは「給特法」に則って、

その4%を上乗せされて支給されています。

Aさんはある月、40時間の時間外労働をしました。

労働基準法では残業が上限40時間/月認められています)

それでは、Aさんの

時間外労働における時給はいくらでしょうか?

 

(答)

25万円×4%=1万円(…上乗せされている額)

1万円÷40時間=250円

よって、Aさんの時間外労働における時給は、

250円

 

…どうですか?

高校生のコンビニバイトはおろか、

日本のどこの

都道府県の最低賃金より低い数字です。

(最低は青森県沖縄県等の790円[2019年])

 

ちなみに、月40時間の時間外労働というのは、

簡単にクリアーしてしまう数字です。

 

ほとんどの場合、教員の定時時間というのは、

生徒の登校可能時刻より後

          ~生徒の下校時刻より前

に設定されているからです。

 

仮に、すべての先生が「定時通り」に

仕事をはじめ仕事を終えたとしたら、

学校は間違いなく成り立ちません。

 

生徒が登校すれば、

何かあったときに対応できなければいけない。

朝は、各家庭から欠席・遅刻の連絡などもある。

 

また、放課後には補習や部活動などがあり、

部活動は、ほぼ「勤務時間外」まで行われている。

 

そこから、多くの先生は授業準備を始めます。

学校に残っていない先生でも、

家に持ち帰って仕事をしています。

(これだって、立派な時間外労働ですよね)

 

土日に授業準備をする先生もいます。

(僕は土日派です)

 

「40時間」という数字は、

20日、1日2時間

時間外労働すれば達成できる数字です。

(達成したいわけではありませんが苦笑)

 

ちなみに、私立学校の事情は

学校によって異なるでしょうが、

「給特法」と同様の給与形態の学校も

少なくないと察します。

 

ところで、

なぜこのような「悪法」ともいえる法律が

存在するのでしょうか。

 

この法律ができたのは、

今から約50年ほど前の1971年。

 当時の教員の平均時間外労働時間は、

8時間だったそうです。

そこから計算されたのが

「4%」という数字なのでしょう。

 

それなら、まだわかります。

さっきの例なら、時給1,250円ですからね。

当時ではむしろ多かったくらいでしょう。

 

しかし、今はどうでしょうか。

 

「学校こそ究極のブラック企業

とまで揶揄されるほど

教員は多忙を極めているというのに、

給与形態の実態は、

50年間も変わっていないのです。

 

それに対して、

「どうにかしてくれ!」という

現職教員や大学教授などが

一生懸命活動をしていますが、

今のところ、前向きに「変えよう」という

ムーブメントはないみたい。

 

ちなみに休日勤務の手当について、公立は、

「4時間以上の勤務なら、一律3,600円」

だそうです。

「4時間以上」ってのがミソですよね。

8時間でも「3,600円」ですからね。

休日返上して、450円ですよ…。

(私立は学校によるけど、それほど変わりません…たぶん)

 

確かに、教員の仕事というのが、

「勤務時間では計れない、特殊なものだ」

というのは事実だと思います。

子供に、教員自身の「経験」を伝えることが

教員の仕事の一つだとすれば、

すべての私生活は「仕事」になりうるからです。

それはあまりにも詭弁だと思いますがね

 

とはいえ、

4%はあまりにも少なすぎる…。

 

「教員は聖職者だ。お金など気にするな。」

という時代では最早ないと、僕は思います。

 

やはり、努力には、

それなりの対価は支払われねば。

 

OECD加盟国中、全国家予算における

教育費への支出の割合は、

日本が最下位です(2019年)。

 

それに対して、

日本の教員の勤務時間は、

OECD加盟国中トップ

(週56.0時間、2位はカナダの47.0時間)

 

前回の繰り返しになるのですが、

日本の教育を救うことは、

日本を救うことにほかなりません。

 

日本の教育を疎かにすることは、

日本の未来を疎かにすることです。

 

学校の先生はみな、

それぞれのやり方で、

熱心に日々の教育に向き合っていると

僕は思います。

 

僕の希望は、

もう一度、教師という仕事が、

魅力的なものの一つになること。

 

積極的に、教師になりたいという優秀な学生が

増えてくれること。

 

やりがいという意味で、

教師に勝るものはないと思っていますが、

それだけでは、やっていけないのも事実ですよね。

 

いつかこの状況が変わってくれることを、

切に願っています。

 

次回こそ、部活動について書きたいと思います。

 

 

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日本の教員は、なぜそんなに働きすぎなのか?【教員の働き方改革】

「教員の働き方改革

…が叫ばれているのはご存じでしょうか?

 

本当は部活動の話をしたかったのですが、

その話をするためにはまず、

教員働きすぎ問題」を避けては通れないので、

なぜ日本の教員が働きすぎなのか、

僕の考えをお話しします。

 

※小学校のことは詳しくないので、中高に話を絞ります。

 また私立学校で勤めているため、

 公立や他の学校とは少し異なる部分があるかもしれません。

 

まず、中高教員の主な仕事は3つです。

 

①担任業務

本の学校にはおおむね「担任制度」があります。

説明するまでもありませんね。

 

学校は各家庭から子供を預かり、

親の代わりに教育をするという組織ですから、

担任はある意味「親代わり」です。

 

朝や帰りのホームルームだけではなく、

生徒と適宜面談をしたり、通知表を書いたり、

問題が生じれば解決に奔走し、

他の教員や親と連携を取る必要があります。

また、道徳などの教科教育で学べないことは

担任教諭が請け負う場合が多いでしょう。

体育祭や文化祭も、クラス単位で何かするなら、

担任がサポートする必要があります。

 

②教科指導

中高は各教員専門の教科があり、

その教科の授業を担当します。

僕の場合は「国語科」ですので、

国語に関連する授業をすべて担当します。

進学校などでは、現代文と古文や漢文を分けている学校も)

 

授業がもちろんメインですが、

授業に準備は不可欠です。

それに加え、宿題のチェックやテストの採点、

成績処理などがあげられます。

(宿題やテストの必要性についてはここでは横に置きます)

 

③校務分掌

一般の方にはピンとこないかもですね。

端的に言えばこれは、

学校運営のための裏方仕事です。

多くの学校にあるのは、

教務系、生徒指導系、進路系でしょうか。

 

【ざっくりした説明】

◆教務系

授業やテストなどの時間割作成、教材管理、

学習指導要領に則った成績処理や単位管理、etc.

◆生徒指導系

行事・部活動運営のバックアップ、

生徒指導や問題行動の対応、etc.

◆進路系

進路指導のための情報収集・提供、

大学・高校進学や就職のサポート、etc.

 

それに加え、

施設管理や広報活動などがある場合があります。

校務分掌は学校によって異なりますが、

おおむねこんな感じです。

 

以上の3つがないと、

今の日本の学校組織は成り立ちません。

この3つに関しては、

大体平等に仕事が割り振られているはずです。

(実際はどこの組織でも、仕事量が完全に平等なのは稀ですが)

 

人によって違うでしょうが、

①が2~3割、②が5~6割、③が1~2割

というのが僕の感覚。

 

問題は、この3つをこなすだけでも、

定時内に仕事を終わらせるのはかなり不可能

だということ。

 

日中は、当然授業があるし、

生徒が学校にいれば目を配らないといけないし、

校務分掌の仕事もこなさないといけない。

それだけで、

空き時間はあっという間に埋まります。

 

授業準備は人によって差はありますが、

「授業が1種類しかない」

などの特殊な状況でない限り、

定時内で終わらせるのは無理でしょう。

 

 

さて、

お気づきでしょうか…?

 

 

この3つの仕事には、

「部活指導」は入っていないのです。

 

「部活動」は学習指導要領において、

学校教育の一環だが、「教育課程外」であり、

「生徒の自主的・自発的な」活動である

と位置付けられているからだと思われます。

 

部活動はほとんどの場合、

放課後と休日に行われますね。

 

放課後の部活動の終了時刻は、大抵の場合、

教員にとってはすでに定時勤務外です。

そして部活動がある教員の多くは、

部活後に授業準備をせざるを得ません。

 

休日には大会や練習試合、練習があります。

休日出勤には、代休がもらえますが、

平日には授業や部活があり休めません。

(代休:休日働いた代わりに平日休める制度)

 

教員にも有給休暇はありますが、

ほとんどが余ります。

(代休すら大量に余っている教員もいますね)

 

これが、教員が働きすぎになるメカニズムです。

(これでもかなり色んなものを端折っています)

 

これで給料が良ければまだしも、

「給特法」というとんでもない法律によって、

いくら残業をしても、

教員の給与は、増えないようになっているのです!

 

別名「定額働かせ放題」。

うまい名前を付けたもんですよ。

今度詳しく話しますが、気になる人はググってね。

 

さらに学校は、

プログラミング等の新コンテンツを求められるし、

親などに求められるものも、

どんどんエスカレートしている感が否めません。

 

これでは、

教員になりたい人が増えるはずもありませんね

 

 誰もが教員になれるようになると、

「教員にふさわしくな人」が教員になってしまい、

問題を起こせば、

周りの教員が尻ぬぐいをしないといけなくなる。

ちゃんとした教員はより仕事が忙しくなるが、

給料は増えない。

それならこんな仕事やめてやるー!

ってなって、さらに教員が足りなくなり、

もっとだれでも教員になれるように…。

 

ってこんなキレイな悪循環、ありますか…?

 

学校教育の衰退は、

国の衰退に直結すると僕は考えています。

学校教育を避けては基本的に大人になれませんから。

(一部の人を除く)

 

教員の働き方の改善は、

国を衰退させないためには必須だということを、

ぜひ皆さんに知っていただきたいという次第です。

 

部活について語るための前置きだったのに、

結構長くなってしまいました^^;

今度、部活動に関する見解を述べたいと思います。

 

 

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【リアル・コンフィデンスマン】東出昌大の不倫騒動についての草子

 

コンフィデンスマンJP、

並びに僕ちゃんファンだった僕にとって、

5月に控えた映画版第二弾公開前の時期に

東出昌大 不倫別居!

という文春砲は非常に残念であり、かつ、

「バカだなー」という思いだったわけですが。

 

東出、お前が一番コンフィデンスマンやないか

ってな。

 

冗談はさておき、

 

今日書きたいのは決して東出擁護論でも、

ひいては男性擁護論でもありません。

すなわち女性を敵に回すつもりも毛頭ない。

 

問題は、ご存知の通り、この加熱する、

さらには炎上より燃え盛る、

東出バッシングの嵐についてです。

 

結局のところ、ネット上で

意気揚々と東出をバッシングしている方々は、

何が目的なのか、

何を産出したいのか、

まったくもって、わからないのですよ。

 

仮に、バッシングしている人が

誰かのために」しているとしてたら、

それは誰のためなんだ?

 

彼がしたことは確かに悪い。

嫁さんや子供たちに対しては特に。

そして、仕事をともにする関係者などにも

多大な迷惑をかけていることは事実。

 

でも、バッシングしている人のほとんどは

もちろんそういう身近な人ではないだろう。

自らが被害を受けていないにも関わらず、

一人(あるいは二人?)の人間に

寄って集って誹謗中傷を浴びせる、というのは、

いわゆる「いじめ」というものではないのか。

 

ここで、二人の著名人のコメントを引用してみたい。

明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。 国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか… 

これは俳優の三浦春馬氏のツイート。

これにも賛否両論あるのだそうですね。

んー、なぜ「否」があるのか、謎です。

 

もう一人。

世間は賑わってますね、くだらないことで
人様の恋愛に口を出して、奥さんが可哀想だから叩かれて然るべきだとか

奥さんが可哀想なら、離婚とかなった時、慰謝料や養育費払えなくなるから、放っておいてあげた方がいいのに

正しい、正しくないではなく、やっと憂さ晴らし出来る相手を見つけた、だから攻撃する

そこを味方につけて、あたかも自分達が正義だと、それをテレビで得意げに言うことを仕事にしている人間

こんなん相手にしてたら誰もテレビ面白いと思わんわな

(中略)

そして日和菌のように、世間が、そろそろ叩くのやめようとかなったら、自分は手を出していないとばかりに掌返す輩

この問題で当事者が自殺でもしたら、みんなどう思う

ざまーねえなって思うのか

掌返して、あんなに言うべきじゃなかった、とか、他人のことに立ち入り過ぎだとか言い始める

(以下省略)

これは ボクサーの村田諒太氏のFacebook投稿。

 

どう思われますか?

 

僕はとても的を射ていると思いました。

 

僕は基本的には日本が好きです。

しかし、

日本に蔓延する、

この停滞体質が好きではありません。

 

つまり、何か問題が起きた時に、

ひたすらに現状だけを非難し、

そこに「未来志向」が一切存在しない。

 

会議とかでもそう、

ただ「ここがダメ」「これはムリ」というだけで、

「ここをこうしたら」とか「こうすべきでは」

という生産性が見られない。

 

まぁ東出の件に関しては、

「不倫をしないようにしたら?」

なんていうのは頭が悪すぎますが笑、

でも、だからと言って叩きゃいいもんじゃない。

 

「この問題で自殺したら」

という村田氏の示唆は、

正直大げさではないと思う。

 

彼のしたことに対する制裁は、

ちゃんと社会が下すし(賠償金5憶円だと)、

こちら側の人間が叩かなくても、

彼は当分は干されるだろうから、

「いじめ」みたいなことはやめないか。

 

「彼は叩かれて当然です」

とかいう人々もいますが、それって

「彼はいじめられて当然だからいじめました」

「彼は殺されて当然だから殺しました」

っていうのと同じ理屈なんですよ。

 

しかも東出も、

あなた”に叩かれる筋合いはたぶんない。

 

「芸能人は人気商売だから叩かれて当然」

も全然嘘。

好きか嫌いかは個々人の問題だから。

「俺の正義はみんなの正義だ」

ってジャイアン的思考じゃん。

 

 

 人のこと叩いてスッキリするとか、

それ嘘ですから。

 

こういう議論はよく目にすると思うので

使い古されてる感はありますが、

見てくれた人だけでも、今一度、

そういう冷静な心を持ってほしいと思います。

 

 

とりあえず僕は、それでも

コンフィデンスマンJPの新作を楽しみにしている。